夏目漱石の性格と病気を名前で見る

 1867年2月9日(慶應3年1月5日)生  江戸牛込馬場下横町(東京都新宿区喜久^_^井町)出身。 
本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ) 帝国大学(現在の東京大学)英文科卒業
愛媛県尋常中学校教師 熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学、帰国後、東京帝国大学講師となります。
英文学を講じながら、『吾輩は猫である』をを雑誌『ホトトギス』に発表することで評判となり、『坊ちゃん』などを書く。
            
         夏目漱石(なつめ そうせき)
  
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         漱石の略歴
 漱石は子供の頃、養子に出されるなど、苦労がたえませんでしたね。
ちなみに、漱石と言う名前は、自ら若い時から、時々使用していた様です。
1890年(明治23年)23歳の時、創設間もない帝国大学(後の東京帝国大学)英文科に入学しました。

この頃から、厭世観(悲観主義)、精神衰弱に陥り始める。
少し前、1887年(明治20年)3月に長兄・大助死亡。 同年6月次兄 夏目栄之助死亡。
1891年(明治24年)には三兄夏目和三郎の妻発世が死亡。近親者が次々と死亡する事が影響したものと考えられます。

1893年(明治26年)帝国大学(現東京大学)を卒業し、高等師範学校英語講師になる。しかし、肺結核など、身体の問題から、極度の精神衰弱となってしまう。

1900年(明治33年)5月、文部省より英国留学を命じられる。
しかし、留学したものの、以前から英文学が性に合わなかったため、ここでも精神衰弱に陥ってしまいます。
英国から帰国後、1903年(明治36年)3月3日に本郷区駒込千駄木町57番地に転入する。
4月に大一高等学校と東京帝国大学の講師となる。しかし、その分析的な硬い講義は不評であった。
やる気の無い生徒、藤村操を叱責すると、数日後、その生徒が華厳滝に入水自殺してしまい、そのためか、漱石は、またまた、神経衰弱になってしまいました。 良くなったり、悪くなったり、でしょう。

1905年(明治38年)『ホトトギス』に『吾輩は猫である』を投稿して好評を得る。これが、漱石の作家への道となって行きます。
  
1907年(明治40年)には、朝日新聞に入社するなどして、本格的に職業作家としての道を歩み始めました。

 しかし生涯、精神的な病に苦しんだようです。 最期、死因は、胃潰瘍でした。

          姓名判断分析

  本名、夏目金之助、全体的には、吉画で、強い様です。

名は『金之助』初画で18画、吉画。 健康でスポーツマンタイプ。パワフル。自分で問題を解決していく。

最も重要な人画(内画)は13画、吉画。 頭脳明瞭。学歴社会では、高い位置。仕事も良く、高いポストを得ます。

総画33画、特殊画。帝王的強さ有り、時に傲慢。  
これを見ると漱石は、元々は、非常に能力があり、強い性格のようです。

一方で、外画、対外、対人関係は20画の凶画。 誘惑に弱く、ズルズルと深みにはまる可能性。 せっかくの良い友人を大切にしない。

強い性格で自らを切り開く能力がある一方で、外からの誘惑に弱い性格.相反したものが共存。 これが精神のバランスを崩しているのでしょうかね。

  次に有名なペンネームと言ってよいのでしょうか、夏目漱石はです 。

下から、初画(地画)、人画(内画)共に19画、凶画。 凶画ですので、良い事は無いでしょうが、一番下のの初画(地画)の19画は、神経過敏、病弱、挫折の暗示。自分の世界を確立。

一番重要な時期である人画(内画)の19画は、集団生活苦手ながら、芸術、教育、宗教、政治などでは活躍。 まさに夏目漱石の世界を確立。

外画は、天画と同じ15画、大吉。広い交際範囲。良い人脈。貿易、情報関連。外国との関連。 漱石は、東京出身ですが、熊本、愛媛に移っています。海外では、イギリスに留学。他郷に行っています。

総画、34画、凶画。 運命の波が激しい。 自分や身内が病気、不幸、災難が続く。 漱石が、精神的バランスを崩す原因でしょうか。身内がたて続きに不幸になる暗示(事実、漱石の身内は、そうなった)。 『夏目漱石』と言うペンネームが暗示しているのでしょうか。

名前を改名したり、新しい名前が付いたりすると,そういう現象が起こったり、見えたりしますね。 
名前が付いたから、そういう事が起こったのか、運命がそうなっているから名前が付いたのか。 ニワトリが先か、卵が先かです。

本人の場合は、改名したため起こる可能性ありますが、他人は、それぞれの運命がありますからね。何ともいえませんが。
しかし、こう言う所が名前の不思議。

 名前は、あくまでもですので、全然本人と合致しないこともあります。 そのため、良く調べもしないで、姓名判断はデタラメだと言う人がいます。
 だから、たくさんの人を検証することが重要です。 ブログは、真に、打ってつけですね。

麒麟 田村 名前は

  田村裕(たむら ひろし) 1979年9月3日生  39歳  日本のお笑い芸人 タレント 作家。
大阪府吹田市出身 吉本興業グループのよしもとクリエイテイブ・エージェンシー所属。 吉本総合芸能学院(NSC)大坂興20期生

1999年、吉本興業の養成所であるNSCで知り合った現在の相方、川島明と共に『麒麟』を結成する。
2001年に開催された第1回M-1グランプリで決勝進出したのをきっかけで、有名になりました。

2006年頃から自身の学生時代の『貧乏エピソード』をテレビで話すようになり、その悲惨過ぎる生い立ちに、笑いと注目を集める様になり、後にワニブックスからベストセラーとなる本、『ホームレス中学生』を出版することとなります。

2007年、自身の幼少時代から相方との出会いまでを記した、この自伝『ホームレス中学生』は、200万部以上を売り上げ、メデイアミックス化(映画・テレビドラマ・マンガ・絵本など)になり印税は約2億円になりましましたが、すでに、すぐに使い果たしたようですね。

後に、蒸発して別れた父にテレビ番組内で、父親と再会を果たし、田村の実兄・実姉も父親と再会を果たしました。

『ホームレス中学生』のブームが終息した以降は芸能の仕事は減ったが、学生時代からしていたバスケットの関連の仕事を軸として活動しているみたいです。
仕事の少ない時は、アルバイトもしているみたいです。
  
 とは言え、生い立ちに関しては、壮絶な人生ですね。 では、名前を見てみましょうか。

       田村裕

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 これを見ると、上から運勢の傾向性見ても、下から見ても、12画の凶画。両方から挟まれています。
12画には、家族縁薄い、病弱、孤独、遭難、短命。などの凶の意味があります。その他に、犯罪の被害者、加害者。
 ポーカーフェイスで何を考えているか、判らない。と言う意味があります。

 しかし、下からの『裕』、名の方(名画、名格)(初画、地画)の12画には、不死身、健康、タフの意味があり、不幸な生い立ち、病気【彼は、、アレルギー体質(色々な物にアレルギー)らしい】に負けない強さも備わっているようです。

とは言え、上から行っても、下から行っても、晩年には、12画ですので、晩年に備えとくのが重要でしょう。

 次に最も重要な時期、人画(内画)ですが
19画の凶画。 波乱の多い人生。 能力があるものの、中途で、名声、財産を失う事もあり、不如意、孤独、厄難、短命の意味がある。

でも、仕事に関しては、水商売、医者、芸能関係などは良く、彼は芸能関係で成功をしたのでしょうね。

外画、対人、対外関係は17画の吉画。 やや、強情頑固ですが、物事を積極的にやりとげます。 

 そして、最期に総画、24画の吉画。財画。
生涯において、お金に恵まれる(と言うか)、お金に関係した縁がありますね。

 今後とも、波乱があるかもしれませんが、田村さん、頑張ってくださいね。.... ^^9