元横綱 輪島

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大相撲の第54代横綱で、北の湖とともに輪湖時代を築いた輪島大士氏【本名・輪島博】(70)が死去したことが9日に分かったそうです。

   輪島大士(わじまひろし)

1948年(昭和23年)生  石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント 。 本名は輪島博(わじま ひろし)大相撲時代は身長185cm 体重132kg ニックネームは蔵前の星 黄金の左

金沢高等学校・日本大学の相撲部で活躍。大学では、2年連続で学生横綱に輝くなど14個のタイトルを獲得する。

日大卒業前の1970年、花籠部屋に入門し、同年1月場所に幕下付出(60枚目格)で初土俵を踏んだ。

幕下を2場所連続で全勝優勝で十両入りした。十両も4場所で通過して初土俵からわずか1年で新入幕を果たした。

1972年9月場所では千秋楽に貴ノ花との大相撲を制し、場所後に貴ノ花と共に大関に昇進した。

(大関昇進を機に、番付の四股名を輪島博から輪島大士に改名)

幕内優勝14回

 
1981年3月場所中に引退,花籠部屋を継承する。

1985年 年寄名跡『花籠』を実妹の経営する料亭の借金の担保にしていたことが表面化し、日本相撲協会の委員から平年寄への2段階降格処分と無期限謹慎処分を下される。
これが原因で、同年12月廃業。
この時、名前を、花籠大嗣(ひろし)に改名。
この名前は、外画が20画の凶画。影響が出たのでしょうか。

    プロレスへ

大相撲を離れた輪島は、1986年に全日本プロレスに入門する。

しかし、1988年12月に唐突に引退する。事前の宣伝や引退試合等も一切無く、ひっそりと身を引いた。

    評論家、タレントへ

プロレス引退後は、大相撲解説などの他タレントとしても活躍 日本テレビ系『とんえるずの生でダラダラいかせて!!』に準レギュラーで出演し、いわゆる天然ボケタレントとして活躍する。

この番組で、輪島お見合い企画を開催し、現在の夫人と再婚する。

    晩年
 
2013年秋に下咽頭癌への罹患が判明し、12月に癌の切除手術を受けて成功するが、その影響で声がでなくなってしまいました。
輪島さんの食生活などは、どうだったんでしょうかね。

65歳位の年で癌ですので、吉凶の名前だけではなんとも言えませんし、判りません。

2018年10月8日、咽頭癌及び肺がんにより衰弱、都内の自宅で死去。70歳没。自宅のソファーの上で死亡のようです。

 色々あったようですが、見事な活躍でしたね。

では、名前を見てみましょう。

      輪島

輪島.png

 本名の『輪島博(わじま ひろし』の画数は、吉凶半々くらいですね。 
日頃から『輪島.輪島』と言われていますから、この『輪島』の苗字のエネルギーは高いと思われますね。
『輪島』25画、吉画
表面は一見従順そうに見えるが、本質は、なかなかの強情。周囲と摩擦を起こし、トラブルが生じやすいと。 なるほど。
多少の変化はあっても、本質、吉画ですから、結果は良いと。
5の系列ですから、生家に縁が薄く他郷で成功する。

外画が、27画、これも強情、孤立、中途挫折。 表面上の温和さと比べて、内心は、かなり強情な面があるようです。

 下から見て行くと、『博』12画、凶画です。 12画は家族運薄く、病弱、孤独、遭難,短命などの意味。
しかし、地画(初画)『博』、12画にある意味は、不死身、健康、タフ。 

総画は37画吉画。 独立独行型。 意志強く,困難に耐え大成、富貴繁栄する。
サラリーマンには、あまり向かない。
体もかなり大きいことから、生まれながらの力士ですね。

角界(相撲界)に入り、大関に昇進してから、『輪島大士(わじま ひろし)』に四股名として改名。
姓名判断を使ったとは思いませんが、全て吉画になっています.
最も重要な時期の人画(内画)が、22画の凶画から、13画の吉画へ。

総画は31画。 これは、一番になると言う事。 横綱に成るための改名の可能性。
勿論、全国から強い人が、集まって来ていますので、31画だから言って横綱に成る保証はありませんが、強く示唆しています。

70歳と少し早いようですが、まあ、癌にかかってますので、そうなったのでしょう。

   元横綱の、ご冥福をお祈りいたします。

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